海外工場新設プロジェクトストーリー
さらなる市場拡大を目指す、
多国籍チームによるメキシコ工場立ち上げ。
本プロジェクトに携わったNSK社員のインタビューを通して具体的な業務内容を紹介します。
初の試みとなる、多国籍チームによるプロジェクト。
メキシコ、グアナファト州シラオ市。この地に、2013年4月、NSKの新たな工場が設立された。NSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ。NSKでは海外で工場を立ち上げる際に、生産設備の導入、生産管理、運営サポートなど、本社と日本国内のマザー工場が中心になって新工場を支援している。しかしメキシコ工場の立ち上げでは、国内の支援スタッフに加え、新たな試みとして韓国やブラジルの工場からも人員が招集された。しかも、現場はメキシコ、工場を管轄するのはアメリカのNSK。これまでにない多国籍チームとなった。プロジェクトに参加した5人のスタッフに話を聞いた。

■NSKベアリング・マニュファクチュアリング・メキシコ
- 所 在 地:
- グアナファト州シラオ市
- 設立時期:
- 2013年4月
- 操業時期:
- 2014年春
- 事業内容:
- 自動車用軸受等の製造
- 敷地面積:
- 約10万㎡
- 建築面積:
- 約1.3万㎡(第1期予定)
えっ、建屋ができていない? 納期は絶対厳守だぞ。
メキシコは、北米市場に向けた日本の自動車産業の進出が著しい。アメリカとのFTA(自由貿易協定)によって関税が削減・撤廃されたことや人件費などコストの面でも有利なことが主な理由だ。それに伴いNSKとしても自動車軸受の生産拡大を図るため、新工場の設立となった。管轄するのはアメリカ現地法人、NSKコーポレーション。アイオワ州クラリンダ工場、インディアナ州フランクリン工場に次ぐ生産拠点である。
設立と同時に建屋の建設が進み、2014年春の操業を目指し、日本の支援部隊が結成された。そのまとめ役となったのが、本社 自動車軸受本部(当時)の木村雅昭である。
プロジェクトにおける木村の主な業務は、会社設立から工場建設、現地従業員の採用、さらには生産設備の手配、量産開始から納品までなど、すべての案件のスケジュール管理と進行だ。日本にいながら、あるいは現地に赴きこれらの業務をこなす。
「予定としては、自動車メーカーの開発に合わせ、2014年3月を目処に製品をつくりはじめ、4月からはトレーニングを兼ねて体制を整え、7月に量産を開始し、8月に納品という流れでした」と木村は当時を振り返る。
しかし計画は当初からつまずいた。「建屋の建設が遅れていて、設備の導入にも影響しかねない状況だったんです」。悪天候が続くなど工場建設が予定通りには進んでいなかったのだ。「生産開始が遅れても納期は絶対厳守ですからね」。木村は建屋の建設を急がせると同時に、最悪の事態に備えバックアップを立案した。「最悪のシナリオを想定し、現地生産工程の一部を日本で行うことも考えました」。
なんとか事態は大事に至らず製品づくりはスタートしたが、こうした適宜の判断があるからこそ、プロジェクトは前に進んでいくのだ。

- 木村 雅昭
(きむら まさあき)
本社
自動車事業本部 パワートレイン本部
5ヵ国・5言語で、意思の疎通をどう図っていくか。
支援部隊には韓国とブラジルの工場からもスタッフが加わっていた。それぞれの工場のノウハウも取り入れていくという試みだ。グローバル企業にとっては合理的な判断だが、現地に赴くスタッフにとっては苦労の種だった。しかし、これをチャレンジと捉えるのがNSKの社員である。なかでも立ち上げから量産開始後も経理担当として現地に赴任している永廣悠作は、言葉の苦労は当然と考えていた。
「基本は英語ですが現地のスペイン語も必然的に関わってきます。支援部隊からは韓国語とブラジルのポルトガル語も出てくる。でもこれは当たり前なこと。国際色豊かな環境だなと実感しています」。
だが言葉だけでなく考え方も違う。永廣は、メキシコ工場の利益目標を立て、その達成に向けていつまでに何をすべきかを各部署にフィードバックするのが主な業務だ。目標達成のためには、工場の社員が一丸となって目指す必要がある。
「当初は指示を出しても現地スタッフからいい結果が出てこない。そこで伝えるだけでなく何でも一緒にトライし共に解決するようにしました。結果を出せるようになり、『永廣はどう思う?』と聞いてくるようになったときは、チームの一体感を得ることができましたね」。

- 永廣 悠作
(ながひろ ゆうさく)
メキシコ工場
経理
現地と日本を矢継ぎ早に飛び交う、白熱した議論。
考え方の違いによる苦労は現地に限ったことではなかった。現地に出向かないときでも、国内のスタッフを含め誰もがそれを実感していた。現地と日本をつないで行われる定例の電話会議がその場であった。
やり取りはすべて英語で交わされるため、通訳が欠かせない。当時入社2年目の髙橋侑里が任されていた。いわばすべての会話の中継役だ。髙橋はスタッフの苦労やプロジェクトの難しさを自分の耳を通して感じていた。
「たとえば生産設備の仕様などの進捗で、アメリカのスタッフからはいつまでに何ができるかを要求されます。しかし日本のスタッフは技術的に譲れない部分がある。また、韓国やブラジルのスタッフは仕様の改善について異なるやり方や意見を持っている、という具合です」。ときには10人を超え、あまりの白熱した議論に通訳が追いつかないこともあったという。
「会議は朝8時半からなので現地のスタッフは就業後から夜にかけてになります。あちらも大変だったと思います」と髙橋が言うように、お互いの苦労があった。それが議論を重ねることでお互いの協力となり、プロジェクトは一歩ずつ進んでいった。

- 髙橋 侑里
(たかはし ゆり)
大津工場
海外工場プロジェクトチーム
高精度・安定品質。そして現地スタッフの意識改革。
メキシコ工場は自動車軸受を生産するため、自動車軸受の世界的マザープラントである大津工場が技術支援の中心となる。立ち上げ準備に入った2014年1月、生産設備の導入のため現地に向かったのが、大津工場の田中信成だ。
とはいっても、田中は年末までアメリカのクラリンダ工場に赴任していた。実は、クラリンダ工場に副工場長として赴任していた上司がメキシコ工場副社長に就任しており、声をかけてきたのだ。
「おどろきでした。でも自分を鍛えてくれた方ですし、呼ばれて嬉しかったです」。そして3ヵ月の一人暮らしが始まった。スペイン語しか通じない街。標高1,800m。そのせいか、初めのうちは寝ても必ず一度は目が覚めてしまったという。
田中の主な任務は製品精度の向上や均一化の調整だ。「高精度かつ安定した品質を短時間で生産できなければ量産は成立しません」。さらに現地スタッフへの教育だが、やはり思い通りに進まない。「部品を直してほしいと言っても現地のエンジニアは新人ですので、上がってくるのが3日後だったり…。彼らの習慣に合わせながらNSKのモノづくりを教え、取り組む意識や目指すベクトルを共有していきました」。
お互いがわかり合えるようになったころ、田中もメキシコ生活に馴れていった。

- 田中 信成
(たなか のぶあき)
大津工場
第二工作課
(当時 海外工場プロジェクトチーム)
量産目標達成のために、あと0.3秒縮めなければ。
生産設備を導入し、田中とともに一台目を立ち上げてきたのが、生産技術センター設備開発部の後藤健だ。
生産技術センターでは自動車軸受用設備に限らず、NSKの工場内に設置されるすべての生産設備をつくっている。メキシコ工場には最新型の生産設備を導入するため、その開発段階から携わっていた後藤がチームに加わることになった。
ベアリングのボールが転がる溝の研削工程をプログラミングするのが後藤の担当である。製品精度が決まると同時に、量産体制に大きく関わる極めて重要な工程といえる。高精度でバラツキのない安定した研削を実現しながら、いかに多くの生産を可能にするか。「1個のベアリング部材の研削にかけられる時間、サイクルタイムの目標が決められます。我々はなんとしてもそれをクリアしなければなりません」。
生産工程を管理する工作課の田中と相談しながらどこで時間を縮めるか、検討が続いた。「1個を削って次を削るまでのアイドルタイムを0.3秒縮めるために、現地に飛んだこともありました」。技術屋魂に火がついたのだ。その結果、目標は達成された。

- 後藤 健
(ごとう たけし)
生産技術センター
設備開発部
電装設計Ⅰグループ
苦難を乗り越え、量産スタート。
2014年4月に生産を始めたメキシコ工場は、7月に量産を開始。そして8月、自動車メーカーに予定通り納品された。5人のスタッフは苦労話をしながらも、グローバルな仕事の喜びを口にしていた。「みんなそれぞれが悩みながらチャレンジしていました」とまとめ役の木村はスタッフの労をねぎらう。「でもようやくスタートしたにすぎません。ラインを増やし24時間体制にしていく。課題も山積みです」。チャレンジはまだまだ続くのだ。工場には、初めてラインオフされたベアリングが飾られている。